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凄い昔....某国営放送で、吉永 小百合が主演したドキュメンタリータッチのドラマがあった。
当時、わたしは子供でしたのであまり覚えていませんでしたが、母が録画しておいてくれた
ビデオを偶然見る事が出来ました。

明治時代に日本からハフスブルグ家へ(マリア・テレジアもハフスブルグ家出身)
異国のオーストリアにお嫁に(正妻として)行った初めての日本女性という他に...
その後...2つの世界大戦に巻き込まれ、(領地をことごとく、取り上げられる事になる)数奇な
運命を生き抜いた彼女の生き様や価値観、人間像などに興味が在りました。

ミツコ....この名をおそらく誰もが一度は、耳にしたことがあるのではないだろうか?!
多分、皆さんのご存知のミツコは、ゲランと言う香水ブランドの『ミツコ』では無いでしょうか?
実は、私もそうでした。この香水の名前の日本女性は同じ人物だと思っていましたから....
当時のオーストリア(ウィーン)の反映と華々しい社交会で、若くて美貌のハフスブルグ家の末裔の貴族の家に嫁いだ
東洋の真珠のような可憐な光子の清楚な美しさは、新聞や雑誌等でも取り上げられ、かなりな話題の貴婦人だったようです。

この方の題材の本は、かなりな種類が出ていますが今回私が読んだのは『クーデンホーフ光子の手記』と、
クーデンホーフ光子伝』です。

DSC02248.jpg

光子クーデンホーフ・カレルギー
明治7年(1874年)佐賀出身の商家青山 喜八の三女として東京に生まれる。
同年25年オーストリア・ハンガリー公使ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められ
結婚後はヨーロッパに渡り、社交界の名花と歌われる。
7人の男女の子供を生み、32歳で夫に先立たれ家督を守り生涯独身で過ごし昭和16年脳卒中の為、ウィーン郊外で死去
享年67歳。
(社交会にデビューした頃の、写真。当時....光子の細いウエストは話題になったようです)






私が、非常に興味を持ったのは、光子の夫で在るハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵の人間性やその価値観や宗教感にも興味が湧きました。

18カ国語を操り、(読み書きについては、15カ国)仏教にも造詣が深く、晩年は哲学の博士号を取得するため勉強していた彼は
取り分け、あの...ショウペン・ハウエルの哲学に心酔していたようです。

ショウペン・ハウエルの『意思と現職』の哲学は仏教語をそのまま用いておりハインリッヒが後に、哲学博士号を取るため猛勉強しているが、この日本の仏教的観念とショウペン・ハウエルも彼の宗教感や価値観に影響しているのではないかと思われる。
(自分の妻に東洋人を迎える所も、彼のキリスト教徒的な価値観では無く、東洋的な思想の影響かもしれませんね。)

ショウペン・ハウエルの哲学は仏教的厭世思想が、その服装を変えて現れたのであり。その哲学を研究すれば、我らに親密なる厭世思想が如何なる形を取って現れたるのを知るの一助となし得べし。
ことに、ショウペン・ハウエルの名はわが国において知らぬにいたれば、その哲学の梗概を知るは無用のことにあらざるべし』と明治26年、明治の哲学研究者 大西 操博士が『ショウペン・ハウエル哲学』の講演をしている。
当時、この大西博士とハインリッヒは親交が深く、彼が日本を去った後、仏教書などの購入は全て、大西博士を通じて購入しているらしい。
ですから、その有力な思想的価値観の根底に在る仏教には、多大なる関心があった訳です。

光子の手記に毎日の夕食の時間にハインリッヒの口から出る話題は、いつもショウペン・ハウエルやマホメッド、ワグナー、モーゼ、ツァラトゥストラがいつも登場していたそうです。

DSC02273.jpg

>夫であるハインリッヒ。
光子は夫が他界してからは部屋に籠もり、絵画を趣味にしています。絵を描くことで孤独を癒していたのでしょうか??着物姿で絵画を描いている写真。

下は、着物姿で画家に描いてもらった肖像画



余談ですが、二人の間の子供達(7人)次男は、EU(ヨーロッパ連合)の創始者リヒャルト・クーデンホ-フ・カレルギー伯爵です。(パン・ヨーロッパ運動)
彼もまた、学生時代哲学書生で(父譲りですね)大学生の時に知り合い熱烈な恋愛をしたと言われる女優イダ・ローランとの出会いをプラトンの説話に喩え『多謝す、神よ。わが運命は、幾千万の女性の中からその失われた半身に、とうとうめぐり合うことが出来たのだ』と、自らの自伝に書いています。

(私も、この説はまんざら(笑)うそではないような気がしますが.....)


イダ・ローランとの結婚は彼女が女優で在ることや14歳は年上(リヒャルト19歳イダは、当時33歳)であることや、リヒャルトがまだ学生の身で在ることなど、問題も多く光子の当時の悩みの種 だったようです。
末の男の子カロルも、画家になっていてこの方は光子の血を引いているのでしょうね。
次女のオルガが一生独身で母親の光子の手記を口述筆記でまとめています。彼女が、母親を
見捨てる事が出来ずに、他の兄弟達とは違い結局....家を出ることも出来ず光子の介護等で一生を献身的に捧げてドイツで孤独の内に亡くなっています。

オルガという、次女が私的には....一番、明治女である光子の芯の強さを受け継いでいるの
ではないか?!と思いました。
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