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現在・・・・某国営放送にて爆発的視聴率となっている「天璋院 篤姫」原作 宮尾 登美子(上/下巻)を読みました。
(^▽^;)・・・・いつも、いつも洋服作っている訳ではありませぬ(笑)実は、この小説は昭和45年に書かれたものなんですね。

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(2007/03/15)
宮尾 登美子

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(2007/03/15)
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私は、所謂女の園である「大奥」物が大の苦手でドラマも映画も小説も一切読んだ事もないし好んで観た事もなかった^^;女性のつまらん感情的な争い事や将軍の寵愛を受ける為とか・・・己の私利私欲の為に女達の野望や陰謀が渦巻くドロドロした隔離された世界(その影に男あり?!(笑)が苦手なのだ。
(自分自身が単細胞のせいか?!(笑)・・・・女の人が苦手なのもあるなぁ~(^▽^;)

天璋院というと官軍が流したデマの噂で・・・・どちらかというと14代将軍の御台所の皇女和宮をいびった若い姑という話の方が有名みたいですねぇ~(笑)
幾島は本当はおでこ(眉間の間)にこぶがあるので、篤姫に「これ!こぶ」と呼ばれたりしていました。
ドラマは原作と違い・・・・何だか青春ドラマちっくに仕立てられています(笑)13代将軍家定もペリーにその奇行が既に伝わっていて「日米通商条約」なんて超~~日本側に不利なものでした。
(当時・・・将軍家の正室として輿入れするのは摂家(公家)か宮家のお姫さまが通例だったので異例中の異例な縁組だった・篤姫はもしかして側室にされたかも知れなかった)

最終的には、養父である島津 斉彬の継嗣問題(一ツ橋派)の重要な任務を果たす為に島津の分家の娘から本家の養女となり、その後近衛家(公家)の養女となり格上げし「大奥」に老女「幾島」と共に父斉彬の命に寄る一ツ橋 嘉喜をバッカップする継嗣問題の重要なミッションを果たすべく「大奥」に潜入する・・・・普通の高貴な武家のお嬢様とは訳が違う筋金入りの骨太な男前な女子だった訳です。

幕末の動乱期を生きた男の話は沢山あるけれど・・・女性でしかも滅び行く徳川の「大奥」の御台所だった女性にスポットを当てた所もドラマのヒットに繋がったのでしょうね♪


ドラマ放映中なのでネタバレになるのでこの辺にしておきますね(笑)

ドラマの予告編

48歳で没する迄の天璋院 篤姫を宮崎 あおいちゃんがどの様に演じるかも楽しみですね(^_-)-☆
しかし・・・「大奥」という所は色んな陰謀が渦巻いてて・・・・恐~~い(^▽^;)所ですわ
(女は恐い・・・しみじみ・・・(。-_-。)。。o )






この篤姫の気性は・・・・やはり武家の子女なので以前に読んだ新渡戸 稲造著「武士道」の一説にも記述されている「大和撫子」精神に通じるし、篤姫が薩摩の生家で教育を受けた彼女の乳母である(自分の出身が高貴な出では無いことで後の篤姫の名前を汚してはいけないと自害する)教育係りも兼ねていた菊本の影響もある。

新渡戸 稲造の「武士道」によると武士道が求めた理想の女性像は「女傑であれ、尚且つ、家庭的であれ」といささか矛盾したものでもあったのです^^;
女傑とは・・・・例えば、いつも武家の子女が胸元に密かに忍ばせた懐剣(短い刀)。これは、若い女性などが暴行されそうになった時などに貞操を守る為に親から与えられた身を守るというよりは自害する為の武器。(喉を一突きして自害するもの)もう一つは「薙刀」(なぎなた/太平洋戦争時も女学校では米軍の上陸に備えて若い女学生は、額に鉢巻・襷を掛けてもんぺ姿で日々薙刀で応戦するべく訓練していた^^;)
とっさの争い等に備えて(または体と精神を鍛えるべく)自分自身を守る為に訓練していた。
武芸の鍛錬と家督を継ぐべく男子の教育を一手に担ったのが家庭に於ける妻女の主な役割でもあった。

その他、芸事(踊り・茶道・書道・詩吟・読書)やしとやかな日常生活も要求され(勿論、男子を出産するのが一番の役割だけれど・・・・)その芸事には心の浄化・・・・つまり、感情の抑制や集中力/精神を鍛えるなどの役割などもあった。男子に於ける剣の修行の道に似ているとも思える。

それら全ては、君主を持たぬ女子にとっては・・・夫や(独身の場合は父)への忠誠心や自己犠牲に於ける「内助の功」であったと書かれている。

徳川幕府が崩壊しても・・・徳川宗家を残すべく尽力し「大奥」の元使用人達のその後の身の振り方までも心配・奔走した13代将軍御台所「天璋院 篤姫」という人はまさに女子の「武士道精神」を終生守り抜き初志貫徹した人なのです。(岳父である島津 斉彬の政治的野心の為の政略結婚に利用され・・・挙句、徳川の権威を守る為に自らの人生を捧げたある意味気の毒な人でもあるね^^;将軍家定との間に子供でも出来ていればまた違った人生だっただろうに・・・・)

一人の女性としての幸せより・・・・嫁いだ先である徳川宗家(組織/全体)の利益を第一に考え、男性的な程客観的に考え行動した女傑でもありますね。徳川が壊滅的に危機状態だった時に表方に全く家臣(老中)が登城ない事態が発生した時には自ら「幕府の危機に老中一人登城せずとは何事か!!」と叱り飛ばした逸話もあります。時代が時代なだけに悲劇的とも思える運命ですが、江戸城落城後・・・居を点々とし御台所時代とは180度違う質素な生活をして晩年は過した訳ですが・・・自分に出来ることを一生懸命貫徹しようとした強い女性で大和撫子の鏡ですね。
(ペリーの献上品のsingerのミシンを使いこなし、自分や傍の人の洋服も作っていたそうです)

↓ ついでに次はこの本を読みたいですね♪

天璋院篤姫―徳川家を護った将軍御台所天璋院篤姫―徳川家を護った将軍御台所
(2007/11)
徳永 和喜

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↓ちなみに・・・・天璋院 篤姫さまのその後のお姿^^;(やっぱり・・・・男前な風貌じゃない美貌ですな)
身長は160cmあったそうです(五尺三寸)才色兼備で松平 春嶽が残した「斉彬公 行状記」に篤姫の話が出てきます。 「聡明にして温和、人との応接も機知に冨み、学問深し、かくなる姫を御台所(正室)に迎えるのは徳川にとりても幸福というべき他」と記してるそうです。

西郷ドンの真向かいの○囲いのお写真が篤姫さまの旦那様・・・13代将軍徳川 家定公






天璋院篤姫の生涯―篤姫をめぐる160人の群像 (別冊歴史読本 87)天璋院篤姫の生涯―篤姫をめぐる160人の群像 (別冊歴史読本 87)
(2007/11)
不明

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あんまり関係ないかも知れないけれど・・・・^^;前に東京にお邪魔した時のホテルは徳川家の菩提を弔う「増上寺」のお隣でした(後は東京タワー(笑)天璋院 篤姫は家定公と同じく上野の寛永寺に葬られている。

DSC00009増上寺DSC00008増上寺

>港区芝 増上寺にある徳川家の霊廟(ここには14代将軍慶福と正室の和宮が祭られています)う~~~む・・・・今となっては遅いが^^;もっと、しっかりお寺を見学しておけば良かった(苦笑)しかし・・・官軍の焼き討ちにも合わずよく残ったものですね~。(何だかとっても、ひっそりとしていますけど・・・当たり前か?!(笑)

もう三冊、実は読破してて・・・・父のお薦め本の^^;小林多喜二の「蟹工船」/山田 豊子「シャネル最強ブランドの秘密」/「不機嫌な職場」も読みましたがまたの機会にします。



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