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これは、大東亜戦争時代を特攻隊員として若い命を散らした方々の絶世の句と遺書です。
ごく一部ではありますが、只これを先入観のない静かなお気持ちで......
読んでみていただければと思います。


「遺言」

僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何も「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが、僕の別れのあいさつです。



茂木 三郎一飛曹
神風特攻隊 第五神剣隊。
昭和20年5月4日 鹿児島県鹿屋(かのや)基地より出撃 戦死。   享年 19歳





我があとに続かんものは数多し   固く信じて  特攻は征く

渋谷 健一郎 大尉
第六四振武隊。
昭和20年6月11日 反世より出撃 戦死。      享年30歳




「所感」

空の特攻パイロットは一器械に過ぎぬと友人が言ったのは確かです。
操縦桿を握る器械、人格もなく感情もなく勿論理性もなく、
只敵の母艦に向かって吸ひつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。
理性を以て考えたなら実に考えられぬ事で強ひて考ふれば
彼等が云う如く自殺者とでも云いせうか、
精神の国日本に於いてのみ見られる事だと思います。
一器械である吾人ハ何も云ふ権利もありませんが唯願はくば
愛する日本を偉大ならしめん事を国民の方々にお願ひするものです。




>上原 良司 少尉
第五六振武隊。
昭和20年5月11日 鹿児島県知覧より出撃 戦死。   享年22歳
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以前にも書きましたが....実は、私は高校で世界史を取ってた人間なので自国の歴史なのに日本史音痴である。何故?!日本史を取らず世界史を選んだかと言うと、戦国時代に始まり日本の歴史のドロドロした貧しく虐げられてばかりいる庶民やその後の明治維新の時代の政策や次いで二度の世界大戦と日本に原爆を投下されるあの悲劇や、やたら年号の暗記を強いられる為避けて通っていた訳である。(笑)
それより、美大を目指していた私は、甘美で優雅なる西洋史が乙女心には、ぴったりだったのです(全く、物事深く考えず浅はかな少女でしたわ(爆))
そうこうしている内に、BLOGを開設して少しの頃に『蛍の墓』の記事を書いて今は、リンク等で大変お世話になっている『大東亜戦争』さんのBLOGと出会いリンクして頂く事になったのですが遊びに行っても(笑)知らない事ばかりで...(><)困ったのです。全く知識の無い私には、活字が超!!が2つつく位難解な記事ばかりで、しかし....リンクして頂いている以上変な記事も書けないし(笑)分からないままが嫌な私は、色々通って勉強させて頂いておりました.....

この本は、日本史音痴(戦記物は特に)の私が、何を思ったか??靖国神社の売店で思わず手に取って購入した生まれて初めて読んだ零戦に拠る『特攻隊員』のお話です。
(大和ミュージアムへの旅の機中で、ずっと読んでいた本です。)
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著者である、工藤 幸恵さんは私と同郷だったことも偶然ですが、(
雅子妃と東大でも学友)多分私と同じく頑張ってしまうタイプなのでしょう(笑)華々しい経歴からも分かりますが色んな資格をお持ちのようです。
BBCの特派員、NHKやCNNなどのキャスターなども勤めていますのでお顔は拝見した事がありました。
彼女が女性でありながら...何故?!特攻隊についての本を書いたかのエピソードが印象的でした。不規則なテレビ出演の疲れなどで重い自律神経障害になりめまい、吐き気、加呼吸発作などで所謂、女優の渡辺美里さんも同じ病気だった『パニック障害』だったそうです。
私も同じような性格で、きっと責任感が強く、潔癖症で、他人に迷惑掛けたくない、嫌と言えない性格だからこそ、自分で気づかない内に自分で病気を作ってしまっていたんだと思います。

そうゆう悶々とした日々を過していた彼女は、ある日特攻隊員の日記や遺書を目にして後から後から涙が止まらなかったそうです(;へ:)雨がぬかるみの泥を流していくかのごとく、自分の心が澄んでくるのを感じたと.....。人間が生きているのか、死んでいるのかを区別するのは魂であり、精神であると。特攻隊員の遺書に対峙した時に、自分の魂は死んでおり、むしろ特攻隊員達は生きているとも思ったそうです。私も、読んでいて同じ状態に陥り、(;へ:)涙が止めどなくながれ...そして、読み終わった後何か魂が浄化された気がしましたし、頑張って!生きるんだよ!いいんだよ!そんなに頑張らなくても..今のままの貴女でいいじゃないって、逆に彼らに後ろから肩を押してもらった感じでした。

1934年(昭和9年)5月27日 午後6時
海軍省の発表で『東郷 平八郎元帥 危篤』の報が流れた.....
折りしも、この日は海軍記念日だった。
1905年(明治38年)日露戦争で、バルチチック艦隊を破った日と同じ日である。
同年5月27日午後1時55分 司令長官東郷 平八郎は、連合艦隊を率い、遠征してきたロシア艦隊を対馬沖に向かえて戦闘開始のZ旗を掲げ、その後大胆にも敵艦の前を横切り逆戻りし、有名な『東郷ターン』と呼ぶ捨て身のT字戦法で約30分ほどで勝敗を決めた。
翌日までに、ロシアの戦艦6隻、巡洋艦5隻、駆逐艦など4隻、合計19隻を轟沈。
戦艦、海防艦など5隻を捕らえ4524人が戦死、日本側のダメージは死者116人あまり負傷者570人余り、失った艦船は水雷艇3隻のみで世界海戦史上空前の勝利だったのは有名な話。

このとき、青年将校だった、後の連合艦隊司令長官 山本 五十六は8インチ砲で右指2本を
負傷して失っている話は、余りにも有名ですよね~私は、実は尊敬している方なんですが、色んな人物像が交錯している人物でもありますので・・・・・なかなか、私の拙BLOGでは取り上げる日がいつになるやら(笑)....元海軍大将 井上 成美も人物像に興味ありです。精神主義より合理性をと...当時の海軍大学校で教鞭をとっていた時代に東郷式の精神性だけでは、勝てないと当時の学生に合理性の必然性を説いています。
やはり、列強がアジア、アフリカなどをどんどん植民地化していた時代に東洋の何の資源も無い小国である日本があのバルチック艦隊を破り勝利した話は世界中を沸かせた話題でもあり同じアジア民族に取り、この勝利を自国(インドなど)の独立運動などにも駆り立たせるような勢いでもあったでしょうね。
しかし、日本はこの後....同じアジア諸国を帝国侵略主義と同じく支配していくことになります。
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>陸軍の乃木将軍と一緒に、『軍神 切手』となった 東郷 平八郎元帥の切手が表紙。
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>これが、バルチック艦隊を打ち破った戦艦『三笠』(進水式の模様、昭和天皇と東郷元帥)
しかし、私は戦後キャバレーに改装された戦艦『三笠』写真が一番ショックでした....
ここら辺の、エピソードも面白いですよ。